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原付の歴史

原付の歴史

現在の「原付」の概要

原付一種とは、排気量50cc以下または定格出力0.6kW以下のバイクを指します。ただ、原付一種はスペックが49ccとなっていることに疑問を感じる方もいるかもしれません。これは、50ccを少しでも超えると法律に触れてしまうため、万全を期して49ccにしているという事情があります。

「原動機付自転車(原付)」は、基本的に排気量にもとづいた区分で、バイクだけでなく三輪や四輪も原付に含められることがあります。例えばミニカーやホンダ・ジャイロ(三輪)などです。

2012年時点ではバイク全体の年間販売総数の6割が原付というデータもあり、一般市民の足として親しまれています。

バイクは最初高級品だった

日本にはじめてバイクが輸入されたのは1896年のこと。ドイツのH&W(ヒルデブラント・ウント・ボルフミューラー)号という車種でした。その後も量産型バイクが日本に輸入されていましたが、輸入品ゆえにバイクは高級品で、庶民の足といえるほど普及はしませんでした。。

1909年には、日本初の国産バイクが大阪で誕生しました。NS号というこのバイクは、当初「自動自転車」と呼ばれ、タイヤ以外は製作者が自作していたそうです。この製作者は、1912年には2スト250cc単気筒のバイクを製造販売しましたが、量産には至らなかったようです。

原動機付自転車の起源

バイクは高級品という認識が変わったのは、第二次世界大戦後のことでした。ホンダの創始者である本田宗一郎が製品化したホンダA型エンジンの登場によって風向きが変わったのです。

ホンダA型は自転車に取り付ける後付けの補助エンジン。2スト単気筒50㏄で、後の「原付」の起源ともいうべき製品です。敗戦後の不安定な日本経済の復興を、原動機付自転車が影で支えました。

原付は、はじめは自転車と同じで運転免許が必要なかったのですが、1952年には許可制(14歳以上)、1960年には現在と同じ免許制(16歳以上)になりました。足漕ぎペダル付きの「モペッド」と呼ばれる原動機付自転車が販売されているのも、自転車から派生した区分である名残といえます。

1998年から排出ガス規制が適用されはじめ、2007年には規制強化。2ストロークエンジンは排出ガス対策にコストがかかるため、4ストロークエンジンが原付の主流となりました。原付は社会の変動に追いつくために生まれ、今も進化し続けているのです。