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国内4メーカーが挑むHySEとは?

排気ガス

排気ガスではなく「水」を出すエンジンの誕生

「これからのバイクは全て電動になって、あのエンジンの鼓動や排気音は消えてしまうのだろうか」。そんな一抹の寂しさを感じているライダーにとって、一筋の光明とも言えるプロジェクトが進行しています。それが、日本の二輪車メーカー4社(ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ)が合同で立ち上げた研究組合「HySE(ハイス:水素小型モビリティ・エンジン研究組合)」です。

世界的な脱炭素(カーボンニュートラル)の流れの中で、自動車業界は急速にEV(電気自動車)シフトを進めています。しかし、二輪車、特に50ccを含む小型モビリティにおいて、バッテリーの重量や充電時間の長さは、実用性を損なう大きな壁となっています。そこでHySEが目指したのは、電気モーターにすべてを置き換えるのではなく、「内燃機関(エンジン)の仕組みを残したまま、燃料だけをクリーンな水素に変える」という第三の道です。

水素エンジンは、ガソリンの代わりに水素を燃焼させて動力を得ます。燃焼時に発生するのは、極微量のエンジンオイル由来成分を除けば、基本的には「水(水蒸気)」だけ。つまり、私たちが慣れ親しんだエンジンの構造を活かしつつ、排ガスを出さない究極のエコカーを実現しようというのです。これは単なる懐古趣味ではなく、日本の技術力を結集させた次世代エネルギー戦略の要となっています。

ライバル4社が「協調」を選んだ理由とメリット

HySEの画期的な点は、普段は販売台数やレースで激しく競い合っているホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4社が、垣根を越えて手を組んだことにあります。「協調領域」と「競争領域」を明確に分け、基礎研究の部分では手を取り合う道を選んだのです。

なぜこれほど強力なタッグが必要だったのでしょうか。それは、水素エンジン特有の技術的な難易度の高さにあります。水素はガソリンに比べて燃焼速度が非常に速く、着火しやすいという特性があります。これはエンジンのレスポンス(反応)が良くなるというメリットにもなりますが、一方で異常燃焼(プレイグニッション)を起こしやすく、制御が非常に難しい燃料でもあります。

一社単独で開発を進めるには膨大なコストと時間がかかりますが、4社がそれぞれの得意分野を持ち寄ることで、開発スピードを一気に加速させることができます。例えば、ホンダがモデルベース開発を主導し、ヤマハとカワサキが実機でのテストを行い、スズキが要素研究を担当するといった具合に、役割分担が行われています。この「オールジャパン」体制こそが、世界の環境規制という荒波を乗り越えるための最強の布陣なのです。

また、この技術はバイクだけにとどまりません。HySEの研究成果は、ドローンや建設機械、小型船舶など、バッテリー化が難しい様々な小型モビリティへの応用が期待されています。エンジン技術を守ることは、日本の産業競争力を守ることにも直結しているのです。

ダカールラリー完走で見えた「実用化」への距離

「研究室の中だけの話ではないか」と思われるかもしれませんが、HySEの技術はすでに過酷なフィールドで実証され始めています。その象徴が、世界一過酷なモータースポーツと言われる「ダカールラリー」への挑戦です。2024年に初参戦し、続く2025年の大会では、改良された水素エンジン搭載バギー「HySE-X2」が見事に全コースを完走し、クラス2位という輝かしい成績を収めました。

砂漠の猛暑や激しい振動の中で、水素エンジンがトラブルなく走り切ったという事実は、この技術が実用レベルに近づいていることの何よりの証明です。特に「HySE-X2」では、水素タンクのレイアウトを見直し、高回転域での出力を向上させるなど、着実な進化を遂げています。

もちろん、私たちが街中で水素エンジンの原付に乗れるようになるまでには、まだいくつかのハードルがあります。最大の課題は「燃料タンクの大きさ」です。気体の水素はガソリンに比べてエネルギー密度が低いため、同じ距離を走るには大きなタンクが必要になります。限られたスペースしかないバイクに、いかに安全に十分な量の水素を積むか。そして、街中に水素ステーションをどう整備するか。これらはインフラを含めた国レベルでの取り組みが必要になるでしょう。

それでも、エンジンがブルルンと震え、心地よい排気音を奏でながら走る未来が、決して夢物語ではなくなりつつあります。「電動化か、廃止か」という二者択一ではなく、「水素でエンジンを楽しむ」という未来の選択肢を、HySEは私たちに見せてくれているのです。